12日の記事に寄せて頂いたコメントにレスを書いた後、なんだかスッキリしなかったので、自分の考えていることを自分でしっかり把握するために、以下追記です。
「歌詞はどうでもいい」というのは全く全然どうでもいいワケじゃなくて、「こういう雰囲気で歌いたい」という気持ちに影響は与えていると思うし、歌詞を自然に、語るように歌ったほうが、聴いていても歌っていても気持ちがいい、というのは勿論私にもあります。というよりも、歌詞がぞんざいに扱われている歌は、やはり聴いていて居心地が悪いです。具体的な情景をイメージしながら歌っているような場面も、歌によっては確かにあります。
頂いたコメントを読んで、共感する部分が圧倒的に多いはずなのに なんだかなげやりな感じの反応をしてしまったのは(スミマセン、悪意はないのですが)、恐らく
言葉1つ1つ、単語1つ1つに、どうやって作曲家がメロディをつけたかを
自分で解釈していくこと、なぜこの言葉にこういうメロディがついたのか、と
自分で考えることで、そのメロディを自分のものにしていく
という辺りの言葉で、昔感じた「手に負えない感」とその時の苦〜い思いを思い出したからだと思います。合唱団で歌っているとき、「メロディーの意味」「作曲者の意図」みたいなことを考えて議論している人達が周りにたくさんいて、自分もそういうことを考えることを要求されるんだけど、私の嗜好がそういう方向に向かなくて、それが苦痛になった…
勿論彼等は純粋にそれを楽しんでいて、私が勝手に「苦く」感じていただけなんだけど、そういうことが出来る人達を尊敬しつつも、自分が魅力的に感じないことを無理に楽しむことはできないので、そういう世界から離れてしまった、という感じです。そういうことを言葉で考えたり議論したりすることに魅力を感じない、むしろできれば避けて通りたい…のだと思います。
私が歌う時、誰かに向けてなにかメッセージを伝えたい、という気持ちは全く無いようです。音楽をするヒト、音楽が好きなヒトってみんな、そういう気持ちがあるものなのか…それがなければ、本当はやっている意味がないのかなあ? ただ好きな音を追求して、それを提示しようと試みて、提示したものを一緒に楽しんでくれるひとが居れば、私にとっては幸せなーだと思います。
更に追記。
2005/08/11 の記事で、ルパンのテレスペ感想を吐いた時、こんなコトを書きました。
ちょっと前に、「爆笑問題のススメ」という深夜番組にゲストで出ていた京極夏彦という作家が言ってたんですが、「作者が言いたいこととか、ストーリーすらもどうでも良くて、大事なのはテクニック、見せ方だ」と。ちょっとナルホドな〜と思ってしまいました。…(中略)… それにしてもこれって音楽にも通じることかも…? これについてはまた後日書こうかと思います。
このとき後日書こう、と思っていたことは、今日書いたようなコトです。多分。勿論「音楽とはそういうものだ」と言いたいのではなくて、「そういうスタンスもアリでは」くらいの感じです。