こんきちの雑記帳

アカペラ・ルパン・Mac そして日々の出来事…

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帰省&おデート

朝の飛行機でダンナと一緒に帰省。飛行機が揺れてかなり酔った。でも天気は良くて、富士山が綺麗に見えたなあ。こっそりケイタイの電源入れて、写真を撮ってしまいましたです。

空港から京急に乗車。つり広告で、布製のお飾り付き暖簾広告を発見し、思わずパシャリ。これ、結構経費かかるんじゃないかなあ。

ダンナとは京急蒲田駅で別れて、カレは練馬の実家へ、私は平塚の実家へ。私は途中横浜で、イスタンブール時代の友人と落ち合っておデート。年代が近く機械モノが好きで話の合うお姉様である。将来お互いダンナに先立たれたら一緒に住んでもいいくらい気が合う (笑)

長崎に越してからは会う機会がめっきり減ってしまい、今回1年ぶりの再会だ。日記を見たら最後に会ったのが去年の丁度今日だった。七夕か。(←タカ&トシ風にどうぞ)

彼女は横浜の出身なので案内は彼女任せ。13:30 に東口で待ち合わせてベイクウォーター方面に向かい、まずランチ。比内鶏の親子どんぶり、美味しかった〜。2時間弱粘った後、西口方面のヨドバシカメラに行って一緒にデジカメやら Windows の小さいノート型やらを物色、カタログのみゲット。そのあと更に地下街の喫茶店にシケ込んでケーキを食べながらまた2時間ほどお喋り。いくらでも喋るコトあるなあ。んでもって、 ミルクレープすごく美味しかった! お店の名前忘れた…

19:30 ごろ解散して、東海道線で平塚の実家へ。結構込んでいたし荷物が大きかったので、奮発してグリーン車に乗っちゃった。爆睡。
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サンタ2種

帰阪時にみかけたサンタの写真を2つ。

 

左のは、伊丹空港の荷物受け取りベルトコンベヤーのサンタ。「お待たせしました」の看板はいつも荷物の先頭に出てくるのだけど、今回のはサンタが連れていて可愛かった。

右のは、プラザオーサカのロビーにあるキーボックスの上のサンタ。

25日を過ぎたら、クリスマス飾りがあっという間に街頭から撤去されて少々寂しく思っております。うちのクリスマスコーナーは、まだ出しっぱなしだなあ…帰省から戻ったら仕舞おう (^^;)
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母がまた入院 (T-T)

帰阪疲れでグッタリしているところへ、母から電話が。めずらしく家の電話からでなく携帯からだったので「アレ?」と思ったら、なんと病院からだった。今度はなんだか足の深いところにバイ菌が入ったとのことで、即入院の運びに。しびれて色が変わっているらしい。父がまた強引に病院に連れて行ってくれたそうで、ペシミストもこういうこところでは役に立つなあ〜と感謝(父は積極的で強気だけど基本ペシミストだと私は思っている)。

手術をするという訳ではなく、点滴で年末に退院、ひょっとするとお正月にまた入院かも、とのこと。血糖値が高いとこういうことが起きやすいらしい。いやはや…でも年末で病院が閉まってしまう前に、ちゃんと治療できて良かった。
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指切った!

指切りげんまん…ではないです。左手の薬指の先っちょをザックリ切っちゃいました。

うちのダンナは台所に立つことにあんまり抵抗が無くて、時々夜中にオニオンスライスが食べたくなったりすると (笑) 勝手にスライスして食べてくれるのですが、そのときに我が家にある「野菜の達人」というスライサーを使います(貝印の製品なのに、公式ページにも製品情報が無く、ググっても出てきませんでした…何故?)。円筒形の器具で、刃の付いた円形の板をセットして、野菜を入れてハンドルをグルグル回すとスライスされる、というもの。

結構部品が多いので洗うのが面倒くさく、私自身はスライスする量が多い時や千切りをするとき以外は使いません。が、うちのダンナは台所には立つけど洗い物は一切しないので、景気よく「野菜の達人」を使っては放置するのです (笑)

きのうも使ってあったので、洗って干しておきました。で、さっき仕舞おうと思ったら手が滑って、刃の付いた板部分が、シンクで水に漬けてあったフライパンの中へボシャン (T-T) しょうがないなーと思って洗い直して、すぐ仕舞いたかったのでフキフキしていたら、左の薬指をうっかりザックリ行ってしまったのでした。

これを機会に、オニオンスライスくらいの用途の時は板状のスライサーを使って貰うようにお願いしました。いや、自分でやってくれるだけ有り難いんですけどね (^◇^;)

というわけで…ドバドバ出血するので、水絆創膏を塗って、その上から絆創膏を貼って、更にその上から指サックを被せて、指の根本をゴムで軽く留めています。なので今、サ行がとても打ちにくいのです。

日本語には結構サ行が多い、と実感した日記でした。
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ベイズ理論(長文)

随分前になりますが、マイミクさんの日記で「モンティ・ホール・ジレンマ」と呼ばれる確率の問題が出題されていました。

モンティ・ホールという人が司会者を務める昔のアメリカのテレビ番組で、景品を隠したドアをゲストに選ばせる、というよくあるゲームなのですが、ルールはこんな感じです。

●ゲストは3つのドアを見せられる
●3つのドアのうち1つのドアの後ろにだけ景品があり、見事それを選べば景品が貰える
●残りの2つのドアはハズレ
●司会者はどのドアの後ろに景品があるか知っているが、ゲストは勿論知らない。

という条件のもと…

●ゲストはまず、これだと思うドアをひとつ選択する
●司会者はゲストの選ばなかった2つのドアのうち、ハズレのドアを1つ開けてみせる
●ゲストは、最初の選択のままでいくか、もう1つの閉じているドアに変更するかを選ぶことが出来る

------------

この場合、ゲストは最初の自分の選択を変えた方が有利だろうか、あるいは変えない方が有利だろうか?

この問題は「ベイズの定理」(wikipedia での説明はこちら)という考え方で

P(A|X) = {P(X|A) P(A)} / {P(X)}

というような計算式を用いて解けるそうなのですが、文系アタマの私にとってはこの公式はややこしくて混乱してくるので、これを使わずに考えてみました。一応正解に辿り着くことが出来たようです。

でもマイミクさんの日記にはその後にもう1問ありました。

ゲストが最初のドアを選んだ後、地震が起こって、たまたまゲストの選んでいない2つのドアのうち景品のないほうのドアが開いてしまった。司会者は、結果は同じになったのだから、とゲームを続行することにした。

この場合はゲストは選択変えるべきだろうか?

というようなものでした。これがどうも理解できなくて…。考えてみたい方のために、ちょっと空白を開けておきます。
























------------

最初の問題の正解は、「選択を変えた方が倍有利である」です。私は↓こんな考え方で解きました。

それぞれのドアが当たりである確率は 1/3 ずつなので、

(1) 最初に選んだドアが当たりである確率…1/3
(2) 最初に選んだドアがハズレである確率…2/3

(1) の場合、選択を変えれば当たりの確率は 0%、変えなければ 100%
(2) の場合、選択を変えれば当たりの確率は 100%、変えなければ 0%

なので、当たりの確率は

(1) 最初の選択が当たりで、選択を変えない場合 … 1/3 × 1 = 1/3
(2) 最初の選択が当たりで、選択を変えた場合  … 1/3 × 0 = 0
(3) 最初の選択がハズレで、選択を変えない場合 … 2/3 × 0 = 0
(4) 最初の選択がハズレで、選択を変えた場合  … 2/3 × 1 = 2/3

というわけで、選択を変えなければ、当たりの確率は (1) + (3) = 1/3
選択を変えれば、当たりの確率は (2) + (4) = 2/3

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2番目の問題は、「選択を変えても変えなくても、当たりの確率は変わらない」というのが正解だそうです。これがどうも理解できなくて。理由は、ゲストの選んでいない2つの扉のうち、ハズレの扉が開いたのは偶然なので、残りの扉が当たりである確率には影響を与えない、というようなものでした。

でも地震があったとき、ゲストの選んだドアや当たりの隠れたドアが開いてしまったり、または全部のドアがあいてしまうような可能性もあるわけで、その場合はゲームは最初からやり直しになっていたでしょう。今回はたまたまではあっても、ゲストの選んでないハズレのドアがあいたワケですから、ゲーム続行が可能である状況になって続行を決めた時点で、結果は1問目と同じになるようにしか思えないのです。


どうして今更こんなことを書こうという気になったかというと…最近旦那が↓こんな本を図書館から借りてきたからです。

友野典男『行動経済学 / 経済は「感情」で動いている』

そのなかに、こんな問題がありました。

隣家に新しく一家が引っ越してきた。子供が2人いることはわかっているが、男の子なのか女の子なのかはわからない。

1)隣の奥さんに「女の子はいますか」と聞いたところ、答えは「はい」であった。
  もう1人も女の子である確率はいくらか?

2)隣の奥さんに「上の子は女の子ですか」と聞いたところ、答えは「はい」であった。
  もう1人も女の子である確率はいくらか?

3)隣の奥さんが女の子を1人連れて歩いているのを見た。
  もう1人の子供も女の子である確率はいくらか?

答えは

 1)… 1/3
 2)… 1/2
 3)… 1/2

とのことでした。

この問題について詳しい解説が無かったので憶測ですが、1と2は割に簡単に理解できるのです。

1)の場合は、子供の性別が上から 女女、女男、男女、男男 である確率がそれぞれ 1/4 ずつですが、奥さんの言葉によって最後の可能性が否定されたので、女女、女男、男女 である確率がそれぞれ 1/3 ずつになった、というコトですよね。

2)の場合は、奥さんの言葉によって、女女、女男 という可能性だけが残されたので 1/2 に。

問題は 3)の場合です。1)のように「女の子が少なくとも一人は居る」という情報を耳にすることと、実際女の子を1人目撃することとの違いは何だろう…と結構悩んだのですが、女の子を1人目撃した場合、それが姉だろうが妹だろうが、2)の場合と同様に、具体的にどちらか片方を女の子と限定しているのに対して、1)の場合は「女の子が居る」という情報だけなので、奥さんのアタマの中にどちらの子が、或いは両方が浮かんでいるのかどうか判らない。そこが違いなのでしょうか。でもあまりスッキリしません。

3)は

 (1) 目撃したのが上の子である確率 … 1/2
 (2) 目撃したのが下の子である確率 … 1/2

 (1) の場合、下の子が男の子である確率 … 1/2 … (3)
 (1) の場合、下の子が女の子である確率 … 1/2 … (4)
 (2) の場合、上の子が男の子である確率 … 1/2 … (5)
 (2) の場合、上の子が女の子である確率 … 1/2 … (6)

なので、結局もう一人が男の子である確率は

 (1)×(3) + (2)×(5) = 1/4 + 1/4 = 1/2

という風に考えるのでしょうか…。


この本では、ベイズ・ルールを説明するためにもう一つ面白い問題が載っていました。

ある致命的な感染症にかかる確率は1万分の1(0.01%)である。あなたがこの感染症にかかっているかどうか検査を受けたところ結果は陽性であった。この検査の信頼性は99%である。実際にこの感染症にかかっている確率はどの程度だろうか?

というものです。うっかり「99%」と答えてしまいそうですが、そうではありません。

例えばここに 1,000,000人の人が居たとします。

 ● 実際に感染症にかかっている人は、0.01% にあたる 100 人です。
 ● 1,000,000人全員が検査を受けたとして、陽性と出るのは
    感染者 100人のうち、正しく陽性と診断される 99% にあたる 99人 と
    非感染者 999,900人のうち、間違って陽性と診断される 1% にあたる 9,999 人
   を足した数です。

というわけで、あなたが実際に感染している確率は

   陽性と診断された実際の感染者の数(99人)/ 陽性と診断された人の数(99+9999人)
    = 99/(99+9999) = 0.00980… 約 1% 未満  

ということになります。ちょっと意外な感じがしません? 感染症にかかる確率自体が非常に低ければ、検査の信頼性が高くても、間違って陽性と判断されている場合の数がグっと増えるので、実際に感染している確率はとても低くなるのです。

ちなみにこの本では、「ベイズ・ルール」は以下のように説明されています。

生起確率に関する事前の情報(この場合は感染率)がある時に、ある新しい情報(検査の信頼性)が得られた場合には、事態の生じる確率をどのように更新したら合理的なのかを示している


「モンティ・ホール・ジレンマ」の2番目の問題も、ベイズの定理の難しい式を使わずに、文系アタマでも理解できるよう、言葉でかみ砕いて説明してくれるひとを歓迎します。どなたか是非〜。
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「自己愛」への軽い憧れ

大分前になるが、糸井重里が「ほぼ日刊イトイ新聞」で<ほめるとなぜ伸びるのか?>という文章を書いていた。大約すれば、叱るというのは、正解以外に無数にある間違ったやりかたを逐一「それは正解ではない」と教える方法であり、褒めるとはドンピシャずばり正解を教えることであるから、褒める方が正解に辿り着きやすい、というようなコトだ。

なるほどナーと納得したのだが、でもそれだけでも無いという気がする。私の場合は人間が甘いので、何かを教えられるときダメなところばっかり言われ続けると、もともと「自分が好き」というタイプでない所へますます自分が嫌になってきて、投げやりな気持ちになってしまう。

「自分が好き」って公然と言える人って、羨ましいなあと日頃思っている。人前で歌ったりする人間は、本当はそうじゃないといけないんじゃないか? なんて考えることもあったり。当人が好きじゃないと思っている自分の有り様を、人前に曝したりしてもいいもんだろうか。

器用貧乏の典型っぽい私だけど、もしも私が自分を悲観的・批判的に見るタイプでなくて、「自分が好き」というタイプだったら、もっといろんなものになろうとしていたかもしれないし、ひょっとしたらいろんな部分で今以上の力が出せたのかもしれないなー、なんて人生を振り返ってもみたり。いや違うかな、ただ怠け者なだけなのかもしれない。

えーとつまり、褒めるというのは自分自身を好きにさせて、或いは自身を持たせて より効率よく能力を発揮させる効果もあるのではないかと。

関西に歌いに帰ると、至福の時間を味わえると共に、ダメ出しが沢山来て自分ではいいと思っているところへの評価は無くて、帰るたびに 自分自身に対する落胆と諦観を覚えることが多いのも事実。いや私自身も周りにダメ出しはしますけどね。でも逆に感動も存分に伝えているつもり。

勿論アドバイスはしてもわらないと自分では気づけないことも多いし、して欲しいとも思っているし、ダメ出しして貰えるのは、もっとよくなるはずだと期待してくれているからこそだろうとは思っている(思おうとしている)が、「凹むもんか!」と構えていてもドっとやるせない思いが溢れてくる。信頼と愛情が前向きに感じ取れなくなっているのかなあ。それ自体無くなっちゃっているのでなければいいけど (^_^; この感じ、東京時代を思い出すなあ。

そもそも必要として欲しい、好きであって欲しい、と思うのが傲慢なのであって、幸せを感じられる場を与えて貰っていることに感謝すべきなのだろう。

歌に関してはこれまでアカペラが好きで一筋でやってきたけれど、歌い手としての自分を嫌いになりかけているこの状態から抜け出すために、なにかアカペラ以外の場でも歌を歌ってみたりしたほうがいいのではないかな、と思い始めている。私の歌や声を本質的に好きだと思ってくれる人、しかも出来れば褒めながらアドバイスをくれる信頼できるひとと、バンドかなにか出来るといいのだけど…そんなワガママな環境、見つけるのほぼ不可能かしら (^_^;

40代に入ってからの方が、いろいろ迷ってるような気がする。これのどこが不惑なんだろうか。引っ越して以来出勤も歌う機会もめっきり減って外界との繋がりが希薄になって、おまけにこれまで取り柄とも言えた「有り余る体力」まで雲行きが怪しくなって、余計なことを色々考えてしまうせいなのかなあ。自分のことが好きになりたい今日この頃。
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真由子さん Live @ 長崎

昨日は私の大好きな北野真由子さんが、パーカッショニストであるダンナさん(北野博史さん)の生まれ故郷・長崎に来てライブをしてくれた。勿論ダンナさんも一緒。ギターの矢野悟史さん、バイオリンの水川尚美さん、計4人でのライブ。ダンナさんの伯父さんが住職をされている「了願寺」というお寺の本堂でのライブで、場所的にとても新鮮だった。

本堂での演奏なので畳に正座かも、と思って折りたたみ正座椅子を持って行ったが、低めのパイプ椅子がちゃんと並べてあって助かった。それでもお客さんの入りがとても良かったので、途中から座布団も登場。早めに来て良かった…

お客さんは主に檀家のかたではないかと思われ、年齢層は結構高め。だからであろうか、演目も懐かしめのものが取りそろえられていた。「異邦人」「蘇州夜曲」(←アン・サリーっぽいアレンジ)「秋桜」「コーヒールンバ」「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」「L-O-V-E」「東京キッド」あらため「長崎キッド」等々。新しいところでは「ハナミズキ」や、インストで「情熱大陸」も演奏してくれた。

真由子さんの歌は相変わらず多彩で、ハナミズキをしっとりした声の調子で歌ったかと思うと「長崎キッド」はちょっと斜に構えたような雰囲気を醸し出したり。さすがですなー。パーカスはノリノリ、ギターもバイオリンも多芸でとても楽しめた。バイオリンは音痴に聞こえない音程を出すのが大変な楽器だと思うのだけど、水川さんのバイオリンはとても気持ちのよい音がした。歌に乗せたオブリガートのような感じのバイオリンに、時折ヲタ心をくすぐる凝った和音を奏でるギター、柔らかい音色だけど躍動感のあるパーカッション。いいバンドですね〜。また是非演奏しに来てください。

北野氏のご友人の「もってこーい」のかけ声 (笑) と会場の手拍子に応えて、アンコール&客席斉唱の「長崎の鐘」。後者は長崎では有名らしくみんな歌っていたが、私は知りませんです。3番まであったので段々覚えてきて、ちょっとだけ歌った。(^-^;

N-core のメンバーご夫妻が愛児ヒロくんを連れて聴きに来ていたが、カホンを叩く北野氏の真似をしてヒロ君がノリノリで自分の膝を叩きまくってるのがもう可愛らしくてしょうがなかった。動き回りはするものの音や声は発しないので、これならこういう場に連れて来られていいな、と思ったが、膝の上でささえているお母様はきっとお疲れになったコトでしょう (笑)

それにしても、自分の膝をたたくリズム感は大したものだった。やはり蛙の子はカエルか…(^-^;

演奏中は気が引けて写真が撮れなかったので、花束とレイ (笑) 贈呈の模様を携帯でパシャリ。ご本人の了解を得ましたので、ここに掲載させて頂きました。バイオリン嬢が欠けてしまった… (T-T)


土曜日昼間はカラオケボックスで N-core の練習でした。早速トライトーンの CD に楽譜が付いていた「Close to You」を歌ってみたが、これは結構ハモりやすそう。ただ内声がダンゴで書いてあるので、両端は良くても真ん中の 3rd を読むのが大変。ちょっと慣れないとダメだな。あーでも気持ちいいアレンジです。

前回の練習で使った部屋は、隣の音がうるさくてとても多重録音できるような感じではなかったのだけど、今回は厨房を隔ててちょっと隔離された部屋だったのでまずまず静かで、しかも音響もなかなか良かった。307号室。次もここをリクエストしてみよう。それがダメなら 205 号室で。(←忘れちゃうから覚え書き)


しばらくはあまとらのライブ宣伝もリマインドしようかと (笑)
http://konkichi.main.jp/blog/log/eid772.html
12/9(土) と 12/24(日) で〜す。
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帰阪〜帰省・あま練(25)&(26)

23日〜27日まで、家を空けておりました。ダンナごめんね。


≡★ 23日(木・祝) ★≡

あまとら練習。ほぼ1ヶ月ぶり! 大分ご無沙汰した感じがする。13:30〜21:00 まで、主にクリスマス曲の練習に励む。私のリードは相変わらずうまくいかない。(^-^;


≡★ 24日(金) ★≡

実家・平塚へ新幹線で移動。26日にまたあまとら練があるのだが、中2日あいてしまうので そのあいだ親孝行することにした。といっても、今あまり労働力にはならないのだけど σ(^◇^;) パソコン関係でまた質問・トラブルがたまっているらしいので、まあ役には立つ。OS のアップデートやソフトの使い方教授など。メールソフトのデータがおかしくなってしまっているのを修復してあげたらエラく感動された (笑)

今回は父が Sony の PCM-D1 を購入していて驚いた。ちょっと前メールで「Roland の R-09 ってどう?」という相談が来て、色々情報提供していたのだった。私は R-09 前の R-1 を使っているが、自分としては音質・性能的に不満はない(私は音質に対して耳が肥えてないし)。でも機能面で不満なところはある(後からトラックを分割できないとか、電池の残量が判らないとか)。R-09 は電池の残量は判るようになったようだけど、R-1 が入力音量をダイヤルで調節できたのに対して、R-09 ではそこがデジタルになってしまって自分的には不満だ…とまあ、こういったことを父に告げた後、「こういうのもあるよ」という感じで Sony のヤツを紹介したのだ。いやまさか、こっちを買っているとは。だってお値段のケタが違うのよ…!

合唱の練習や本番の録音に使うらしい。明日丁度本番があるので、早速使ってみるとのこと。どんな風に録れたか、年末に聴かせて貰うのが楽しみ。でもまた色々教えてあげることが増えそうだな (笑)

追記

母から「PCM-D1 が買えた理由は書いてあげないの?」というメールが来たので追記 (笑)。今年両親は国内旅行を1回、海外旅行を1回予定していたのですが、国内旅行の方は父が風邪を引いたため、海外のほうは丁度祖母の容態が危うくなったため、どっちもキャンセルしたので、その浮いた分で買っちゃったのだそうです。言い訳みたいで面白い〜 (^o^)



≡★ 25日(土) ★≡

実家2日目。何年かぶりに、高校の時の合唱部のM先輩と会ってお喋りした。この先輩はいつも友達と会うときにゲームをさせる (笑) という一風変わった人だ。数年前自宅に合唱部仲間でお邪魔したときも、コントローラをたくさん引っ張り出してきてみんなでドライブゲームかなんかをした。今回は DS Lite を2台持ってきていて、通信しながら対戦ゲーム。スーパーマリオに付属のテーブルゲーム、なかなか面白かった。マリオってやったことないんだけど、買ってみようかな…関係ないけど私はちょっと前「リズム天国」にハマってて、「ホントですか?」というフレーズを聞いたり口にしたりすると、そのあと頭の中でついつい「ウー」と言ってしまったりする…判ってくれるアナタはリズム天国仲間ですね。

先輩はここを結構マメに読んでくれているようで、ここや掲示板への登場人物の名前をよく把握していてビックリした。誰々はどんな人?とか誰々とは会ってみたいとかと話す。こちらも「会わせてみたい」とか「この人とは絶対気が合うだろうな」とかいうのがあって、友達同士お引き合わせできたら楽しいだろうな。コメント付けてくれればいいのにーと言ってみたが、アカペラ関係の人が多くて何となく入りにくいって。ンなこと気にせず、気が向いたら是非どうぞー。

てなわけで約3時間楽しく談笑。近況なども聞けて楽しかった。またお会いしませう。今度は奥様も是非ご一緒に。ちなみに奥様は今日は都合が悪くて来られなかったけれど、彼女も同じ合唱部仲間(後輩)で、ご夫妻とはうちのダンナも交えて4人でバーベキューやったりなんかしたこともあり、今回会うこともお互いのパートナー了解の上です…って、最後の部分は誰に説明してるんでしょうか (笑)

このあとは父の振る合唱団のコンサートを聴きに行く。さっき車で私をピックアップしてくれたM先輩が、今度はわざわざ私の自宅に寄って母をピックアップして、会場まで送ってくれた。大変助かりました。アリガトウございます。へへ〜〜〜 m(__)m

先輩とは大学の頃高校合唱部のOB会を一緒にやってて、その練習を我が家でしたりしたこともあったので、M先輩は母を(父も)知ってはいるのだけど、会うのは20年ぶり位になるんじゃないかなあ。お互い老けましたですな。 (笑)

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で、夜は合唱鑑賞。女声合唱団「ARDENZA (アルデンツァ)」という。最若手が私と同い年くらいで上は70代もおられるらしく、平均年齢が結構高い団体なのだけど、余計なビブラートが無く響きが綺麗なのに感心してしまった。

演目はミサ曲、マドリガル、コチャール、それから信長貴富さんのノスタルジア。女声のミサ曲って、なんだか眠くなってしまって…スミマセン、途中意識を失いました (^-^; でもソレは私のほうの問題なのであって、眠くなれるのは音が綺麗だった証拠かと。マドリガルは生き生きしてて躍動感もあり楽しめた。コチャールは難曲っぽいのだけどなかなか迫力があって、一番気持ちよく声が出ていたように思う。ノスタルジアは、やっぱり難しいアレンジなのだな、と思った。

信長さんのノスタルジアは、私が東京時代に入っていた合唱団「ひぐらし」が初演で、そのときは私もまだ中にいて歌っていた。すごくグッとくるアレンジなのである。今日聞いたコチャールも結構難しそうだったけど、ノスタルジアはちょっとポップス寄りの要素も要求されるような感じで、また難しさの種類が違うのだろうな。

で、アンコールに父の作った「ありがとう」という曲。ひたすら「ありがとう」と重ねて歌い続けて、1番が「遠いところをわざわざ」2番が「せっかくお休みのところを」3番が「なにかとお忙しいところを」みたいな歌詞(←うろ覚え)。会場の一定の場所を全員で向きながら歌う。なかなかいいアイディアだな、コレ。なんかキュンとなってしまった。客席でも、笑いが起こりつつウルウルしてる人もいた模様で、間違いなく曲一番ウケた曲だったようだ。これからもコレを歌い続けるなら、是非手振りやお辞儀なんかもつけたらいいと思う。

会場には神奈川県在住の父方の兄弟夫妻も挙って来てくれていた。年を取ってから兄弟すっかり仲良くなって、一緒に旅行なんかも行っている様子。数年前まで、正月は毎年旧祖父邸(没後は次男の家になった)に親戚一同集まっていたのだが(3世代で40人以上)、次男(つまり父の兄)が平塚の山の方に新居を建てて引っ越してからそれがなくなったので、伯父伯母に会うのも久しぶりだ。一度にお会いできて良かったッス。

父母が湘南市民コールにいた頃のお仲間達もお越しいただいたようで、終演後母と一緒にいたら度々「あら、亜紀ちゃん?」なんて声を掛けて頂いてしまった。子供の頃よく練習に連れて行かれてたし、合宿なんかも一緒にいったりしたことあったので、結構把握されているのだ…こちらは覚えてない方が多いのだけど…スミマセン。

いやー、いいコンサートでした。私も70代まで歌うぞ…歌えるかな…(^_^;


≡★ 26日(日) ★≡

朝早く実家を出て、新幹線で再び大阪へ。またまたあまとらの練習、今日も 13:30〜21:00 までみっちり練習! 嬉しいなあ♪

しつこいようだけど (笑) 私のリードは全く上手くいかず、あまとらというバンドと私のリードの相性がこの上なく悪いのだと思うようになってきた。勿論私自身に色々問題があるせいだけど、この場ではその問題がどうしても増幅されてしまい悪循環にハマってしまう。ひとの音を細かく聞いていろいろ考えるタイプ、感覚で付いていくタイプ、正しい音から動かないタイプが混在する中、絶対的基準を体の中に持たず、人の音を聞きすぎてしまうタイプである私がリードを歌うのは非常に無理があるのではないか。

大体からして私は体質的にリードでない時の方が圧倒的に楽しいのであるから、別にここで無理にリードを歌わなくてもいいよなあ。もうちょっと頑張ってみようかとも思っていたけど、やっぱり適材適所でいこう。うんそうしよう。
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クリスマス飾り



なんとなくクリスマスな気分になって、去年はしなかったクリスマスの飾り付けをしてみました。
♪ちょっとシアワセな気分♪
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先生って大変ですねえ…

珍しく時事ネタ?

あまとらには先生が2人居ますが、子供達を心から愛する、本当にイイ先生だな〜と思います。こういう先生に出逢えた子供達はシアワセだ!

…と思う反面、なんだか世間は先生達に色んなコトを求めすぎでは? という気もします。そりゃあ自ら生徒をいたぶったり、保身のために問題を隠蔽したりするのは論外ですが、他の生徒にいじめられた子供が自殺してしまった責任まで問わたりするれるのは気の毒な気がします。

イマドキの子供達って、世界が狭すぎるのですかねえ? 昔は学校以外にも近所の歳の離れた遊び友達なんかも居たし、仮に学校で嫌な目にあっていたとしても、生活の全ての面で孤立するような状況ではなくて、逃げ道があったように思います。家庭の中でちゃんと愛されて、「あるがままのアナタを愛していますよ」という安心感とか、居場所を与えられていれば、心に余裕も持てると思います。そのへんのココロを育む作業は、主に家庭で成されるべきだと思うんですよねえ…

私には子供が居ないのでエラそうなことは言えないですし、自殺の原因を作ったヒトを遺族が憎む気持ちも当然だとは思いますが、先生や学校にあまりに色々求め過ぎるよりも、家庭環境を豊かにするほうが有効なのではないかなー。

履修不足に関しても。これだけの数の学校で問題が起こってるんだから、システム自体に無理があるってコトなんではないですかね〜。義務教育じゃないんだから、もっと選択の幅を増やすとかしてもいいのでは?(…て、今のシステムよく知らないけど) 勿論決まっているルールを守らないのは良くないことですが、少なくとも先生が責任取ってが死ななければいけないような問題じゃないでしょうに。真面目なひとだったのかもしれませんが、やはり先生の方も、視野に入る世界が狭くなってしまっているのか、なんて思ってしまいます。

かくいう私は高2のとき理系コースに居て世界史を選択、そのまま理系に居れば3年で日本史を履修する予定だったのですが、3年から文系にコース変更したため、日本史は履修せずに済みました。これってOKだったのかしら…? (^^;;;
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