こんきちの雑記帳

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入院日記(超長文)

13日〜17日まで緊急手術 & 入院しました。その時のレポートです。

あまりに長いので、「続き」のほうに掲載しておきます (^_^;

 
■ 13日(木)1日目 ─────────────────────── ■

夜中の2時頃、今まで経験したことのないような激痛が下腹部に走りました。「なんじゃコレは?」とびっくりしつつも、時間も時間だし、10〜20分くらいでちょっと落ち着いたので、朝まで我慢して行きつけの内科に行ってみよう…と思っていたのですが、5時頃またどうしようもない痛みがきて、立とうとしたら耳の聞こえ方も一瞬ブワっとおかしくなり、体に力が入らなくて立ち上がれない状況でした。これはひょっとして自力で病院まで行けないかもしれないと思い、寝ていた旦那をたたき起こして「ごめん、どこか連れて行ってくれる?」と懇願。旦那は飛び起きて、夜間外来の当番病院を電話で確かめて、家から車で5分程度のところにある市民病院に連れて行ってくれました。

ダンナが着替えたり保険証持ったりとイロイロ準備している間、もしかすると即手術・入院になるかも…と思って、呻いて冷や汗をかきながらも、今服用している薬と、時間つぶしに読む本( 結局手術までは痛くて本なんか読んでる場合じゃなかった)、携帯電話とお財布だけは鞄に詰め込みました。携帯の充電器も入れたかったんですが、そこまで這いつくばっていく余力はなし。ダンナの背中にしがみつきながら くの字になってゆっくり歩いて、なんとか車まで辿り着きました。

夜間外来に着いたときには先客は殆どいませんでしたが、あとから交通事故の被害者とか、「心臓が止まりそうな感じになった」と訴える患者さんとか、いろんなひとが詰めかけてきて、総合病院って大変だなあとちょっと申し訳ない気に。特に交通事故のおばあちゃんは、腰を骨折していて先生から手術をしますと言われ、「手術をするくらいなら死んだ方がましじゃー」となかなか承諾しなかったり、身内のかたに連絡を取ってくださいと言われると「こんな早い時間に電話したら心配する」といってなかなか電話しなかったり、ようやく電話をしたと思ったら、晩ご飯の話から始まって醤油を買いに行った話を経由して、なかなか事故のくだりまでたどり着かなかったりと、病院側には余計な手間と時間が実に多くかかることが良くわかりました。(^_^; にしても病院に行こうという決断がもうちょっと遅かったら、診察ももっと後回しになっていたかもしれません。

私を迎え入れてくれた看護婦さんは、「夜間外来にはいつも医者がいるとは限りませんので、確認してから来てくださいね」というので、「主人が事前に電話で確認してくれました」と何回か説明したのですが、何度も同じことを言われ、取りあえずスミマセンと謝っておきました。

しばらくすると若いハンサムな先生が診察してくれて、どうもこれは婦人科系の病気ではないかという判断をされ、ちょうど当直をされていた婦人科の偉い先生にも一緒に診ていただけることになりました。

それからいろんなところに検査に回ったんですが、その間は車いすで移動しました。車いすって初体験! ちょっと酔いそうな感じでした。床に段差があるたびにお腹に響きます。本当ならこんな姿も写真に撮って貰ったら面白かったんだろうけど、緊急事態なのでそういう訳にもいかず、撮ろうとしたらきっと「このクソ忙しいときに!」と看護婦さんに怒られていたことでしょう(笑)

婦人科での問診票に「結婚したときの年齢は?」とあったので「24歳」と書き、続いて「ご主人様の年齢は?」とあったので、うっかり10を足して「34歳」と書いてしまいました。そしたらお医者さんから「旦那さんは34歳ですか?」とツッコミがあり、「うわ〜〜間違えました! 52歳です」と言ったら笑われた…(^_^; いつも若くみられるうちのダンナですが、さすがに34歳には見えなかったようです(笑)

採血検査の後、ソルデムという液を点滴しながら腹部CTスキャン※・卵巣エコー(コレが痛かった…(>_<))等の検査をした結果、どうやら卵巣部分に異常があることが判明。卵巣が腫れていて、おそらく出血があり、もしかすると腫瘍がある可能性も否定できない、という説明がありました。MRI なんかで詳しく調べられればもっと事前にわかるんですが、今回緊急なので検査も兼ねる形で早速手術に入りましょう、ということに。

 ※CTスキャンを撮る前に、「若い人だから確認しておこう。妊娠の可能性はないですか」と聞かれてつい喜んでしまいました。まだ射程圏内だったのね(笑)

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手術が決まると婦人科の観察室に入りました。隣には出産したばかりのお母さんが寝ておられる様でした。

最終的なお医者さんの説明の仕方が「卵巣と卵管を取ってしまう手術になります」という言い方だったので、「それはもう確定なんでしょうか?」と聞きましたが、そういうわけでもないようで、それだったら何故「取らざるを得ない場合は取ってしまってもいいですか?」という確認の仕方をしないんだろう? と不思議に思いました。

手術しますとか卵巣を取っちゃうかもとか言われても至って冷静な自分がちょっと意外でした。まったく動揺はなし。腫瘍があるかもと言われても、ガンだったらどうしよう…とはなぜか考えませんでした。子供ができないことが決定的になるのかなあ、とは思いましたが、それでもあまりショックはなかったです。不思議だ。

今回非常にラッキーでした。朝まで我慢して近くの内科医に行ってたら「痛み止めを打って様子をみましょう」ということにもなりかねなかったし、良くても別の婦人科病院に回されて、その日のうちには処置してもらえなかったかもしれません。大きな病院に行ったおかげいっぺんに済んだし、しかも当日たまたま腹腔鏡手術のできる産婦人科の先生が宿直しておられたのです! ラッキーであるとともに、この病院を選んだダンナの判断に感謝です。

それでも朝6時前に病院に入って、8時前に手術が決まって婦人科の病室に移ってから、3時に手術をして頂くまで7時間待ちました。その間ずーっと痛いままで、それだけでかなり疲れちゃいました。途中痛み止めを打ってもらってちょっと楽になりましたが、胃まで痛くなってきて体は緊張しっぱなし、いや〜な汗もかきまくり。

痛み止めは経口摂取が出来ないので、筋肉注射か座薬か選ぶ様に言われました。座薬はイヤなので筋肉注射でお願いします、と言ったら、筋肉注射は痛いですよと脅かされたんですが、ぜ〜んぜんナンテコトもありませんでした。そりゃあ普通の注射よりは痛いけどさ。コレラの予防注射より痛いと言われたんですが、コレラのほうがずっと痛かった…あれは後を引くんだもの。

手術までのあいだは、「ソリューゲンG(ブドウ糖加酢酸リンゲル液)」という薬を点滴されてました。待っている間に心電図の検査とか胸部レントゲン検査とかもあったのですが、レントゲンはベッドのところまで出張して撮影してくれました。面白〜い。これ写真撮りたかった!

旦那が最初から付き添ってくれたんですが、病室に移ってからもまだ出ようとしないので心配してたら、「今日は会社を休んだ」とのことでびっくり。まさか仕事を休んでまで付き添ってくれるとは。心強いけど申し訳ないわ〜。

mixi に手術と入院のことを書き込んだら、ものすごく大勢のかたから応援のコメントをいただいてムッチャ嬉しかったし励みになりました。なかにはとても久しぶりな方からのコメントも。私って幸せ者…(T_T) うちの親にも旦那から電話をいれて貰っていたのですが、お昼過ぎまで捕まらず、電話がつながる前にまずは mixi で私の手術のことを知ったらしいです(笑)

手術を待っている間、「ここからは私が担当します」といって入ってきた看護婦さん(Sさん)がカナリ怖そうな人だったので、ゲゲゲと思いました。ダンナに向かって「その荷物は全部まとめておいてくださいね」といったあと「さっきも言ったのに…」とつぶやいたのですが、荷物のことを言われたのは今回が初めてだったので、おそらくその台詞は別の看護婦さん(その場にはいない)に向けて放たれたものと思われます。にしても、患者の前でそんなこと言わんでも…(^_^;

そのあと、別の若い看護婦さんが「Sさん、手術が終わるまでは私がやりますよ」と声をかけにきたのですが、Sさんはなにやらブツブツ文句を言っていて、若い方の看護婦さんはやや困った様子でした。ナースステーションの中が思いやられます。

Sさんは結局、手術のあとに必要な用具などを自分で準備しながら、「私のペースでやらせて貰いますからね」と言っていました。いちいち一言多い(笑)それでも気持ちよく仕事して貰った方がこちらのためにもなるので、「ありがとうございます、ご面倒おかけします」とひたすら低姿勢に出ておきました。

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手術は 15:00 に開始、終わったのは 16:35 だったそうです(旦那談)。全身麻酔だったので、ス〜っと意識がなくなって、あっという間に起こされたと思ったときにはすべて終わっていました。意識がなくなるというのはちょっと怖くて緊張しましたが(死ぬ時ってこんな感じなのかな、とか思ったりしました)、終わってみればなんてことはなかったです。全身麻酔のときは自発呼吸もできなくなるので喉に強制呼吸用のチューブを通されるのですが、麻酔から覚めたとたんにそのチューブの存在が気持ち悪くて、早く抜いてくれ〜という感じでした。で、抜いてもらったらもらったで喉がひりひりして声がかすれ、しっかりしゃべれません。ボーっとしているし、体に力も入らず、呼吸も苦しくて結構苦痛ではありました。呼吸に関しては酸素供給が多すぎたようで、鼻から入れられていた酸素吸入のチューブをはずしてもらったら、楽に呼吸ができるようになりました。

あとで聞いた話ですが、麻酔をしてからチューブをいれるときに、患者が無意識にチューブを噛んで拒絶する場合があって、そういうときには歯が折れてしまうこともあるんだそうです。私の歯は無事でした。手術前に「差し歯や入れ歯はありますか」って訊かれたのは、そういうワケだったのかー。

ガラガラベッドで手術室から出てきて、ドラマでみるような感じで、上からのぞき込んでいる旦那とご対面。「ただいま〜」と言いましたがかすれてあまり声になりませんでした。そのまま病室まで移動して、これまたドラマでみるように「せえの、」と3人がかりくらいでベッドに移されて、そのあとはボーっとしてまたウトウトしてしまいましたが、「意識して息をしてくださいね!」といわれ、意識しないと死んじゃうんだろうか? と緊張しました。

「手術から戻ってきたら写真を撮ってね」と旦那にお願いしてあったので、私が寝ている間に撮ってくれたんですが、クチを開けてあまりに間抜けな顔をしているので、顔が見えないヤツを載っけときます (笑)

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病室に戻ると、いろんな管を装着されました。右の下腹には、内部の出血を排出するための管(ドレーンというそうです)。体を動かせないので、血栓ができるのを防ぐためのストッキングを着用して、その上から空気圧式の足マッシャージャーみたいなのを装着(←あ〜これも写真撮るの忘れてた〜)。胸には心電図と呼吸を記録する機械。それから「アクチット」という液を点滴。それと、尿道に排出管を通されて、トイレにいかなくてもすむようにされてました。これは手術中から付いてたみたいです。本当に何時間でも尿意を催さないのさ!(←セキララですみません)時々青いホースをくわえるように言われ、そこから白いモクモクが出てきます。喉を治すための吸入と思われます。

数時間もすると意識もはっきりしてきて、そうすると痛みも出てきました。おへそのあたりがちょっと痛みますが、それよりもキツかったのは、寝返りが打ちにくいこと。腹筋を使うとおなかがかなり痛いのと、あちこち繋がれているので、動くのが大変です。でも動かないでいると腰が痛くなるので、なんとか右に左にと寝返りをうち、痛いのでものすごく疲れました。

旦那は私が手術している間に一旦家に戻って、洗面セット、携帯の充電器、筆記用具、デジカメ(笑)等々 、いろいろ必要なものを取ってきてくれて、その後夜の9時頃まで一緒にいてくれました。疲れたでしょうねえ。済みませんねえ。自分が暇つぶしに読む本は朝の段階からしっかり持ってきていたので、さぞかし読書が進んだことと思います。

夜になったら微熱(37.2℃/平熱は 36℃未満)が出て、吐き気がしました。夜中一番苦しかったのはこの吐き気。このお腹の痛い状態で実際に吐いたら激痛だったと思いますが、幸い実際吐くまでには至りませんでした。点滴の中に抗生剤を混ぜてもらって、以降楽になりました。夜中の2時に家で腹痛が起きてから(ていうかその前の昼頃からですけど)、手術に入るまで痛みで一睡もしていないので、かなり爆睡したと思います。

夜の間、1時間おきくらいに看護婦さんが回ってきて、傷口のガーゼを変えてくれたり、熱や血圧を測ってくれたりと忙しそうでした。総合病院ってホント大変ですねえ。ありがたや。


■ 14日(金)2日目 ─────────────────────── ■

声は朝にはまずまず普通に出るようになっていました。まだ起きあがれないので、看護婦さんが歯ブラシに歯磨き粉をセットしてくれて、横から「楽のみ」で水を口に入れてくれ、洗面器に水をはき出す、という形で歯磨き。その後蒸しタオルを持ってきてくれたので、顔を拭きました。気持ちいい〜。

なんと旦那はこの日も会社を休んで付きっきりでいてくれました。結構嬉しそうでした(笑)。追加でいろいろ頼んだものも持ってきてくれて大助かり。お風呂セット、タオル、スリッパ、耳栓等。急な入院だったので、要るモノが次々出てきちゃいます。毎月関西に出かけているおかげでお泊まりセットは一式そろえてあるので、持ってきて貰うのが楽でした。

午前中先生が往診に来て、足もとで手術の説明をしてくれました。私はまだ起きあがれないので、主に旦那への説明。写真を見せながら説明してました。私も早くちゃんと聞きたい〜。あとで写真をデジカメで撮らせてもらおう。卵巣から400cc 出血していたらしく、お腹の中が血の海だった模様。旦那が写真を見ながら顔をしかめていました。

先生の診察の結果、ようやく体を起こして水をのむ許可がでたので、血液の排出管をまず外しました。ちょっと痛かった。例の若いハンサムな先生に外して貰っている間、顔を起こせないので具体的に何をされているのかわからず「見えないのが残念です」と言ったら、「患者さんは自分のされてることを見たい人と見たくないひとにハッキリ分かれますね〜」と言われました。ちなみにダンナは見たくない人だそうです。

お腹には4つ穴が空いていました。おへそドンピシャとそのちょっと下、ドレーンの穴が右足の付け根のちょっと上、それから左の足の付け根にもうひとつ。多分左右の穴からマジックハンドが入っていたんだと思います。

看護婦さんの話によると、手術中の私は、お腹に風船を入れられて膨らませられて、エビゾるような形になっていたそうです。この病院では手術中の様子をすべてビデオに記録しておくシステムだそうなので、見せて貰いたいような、でも怖いような。

しばらくしてから心電図計も尿道のチューブも外してもらって、10:30ごろ久しぶりに体を起こして水を飲みました。水曜日の夜8時半に晩ご飯を食べてから飲まず食わずだったので、38時間ぶりの水分摂取。ずっと点滴をしているせいかそれほど喉は渇いていません。点滴だけ引っ張っていけば歩ける状態になり、早速、とばかりに親に電話を入れに行きました。前日は部屋から出られなかったので旦那に伝言を頼んでおいたのですが、本人の声をきかないと安心できないだろうと思って。

廊下のソファーのところまで行って電話をかけたのですが、かなりフラフラしました。メニエールのフラフラとはまた違った感じ。お腹もまだ痛くて、あまり大きな声は出せません。

7分ばかり電話をしているあいだ、点滴をしているほうの腕をうっかり点滴キャスターの取っ手にかけてしまっていたら、位置が上に行きすぎたみたいで、血が逆流してしまいました。看護婦さんが気づいて、チューブの途中の穴から注射器でシュポシュポやってくれたら戻りましたが、途中のシュポが一度すごく痛くて、そのあと針を刺している左手の甲が腫れてしまいました。

電話が終わると観察室から一般病室にお引っ越し。隣のおばあさんが始終独り言を言っていたのと、時々なにかがぶつかる甲高い音が(メニエールのため)耳に障ったので、耳栓をして過ごす時間が多かったです。

入院中気になったことがもうひとつ。院内アナウンスのチャイムの音が何故か「ドミソシ」なんです。千里中央線のホームのチャイムも「ドミソシ」に近いですが、あっちは最後の「シ」が「ド」の微妙に下がったの、という感じなのに対して、ここのは完全に「ドミソシ」です。なんか意図があるのか?

お昼ご飯から食事も解禁、40時間ぶりの食事。最初の食事の写真を撮るのを忘れてしまった…! 3分粥に焼き魚、とうふ、スープくらいだったかな。ご飯はお粥なのに、他のものはシッカリ固形物なのは何故だろう??

お昼過ぎ、最初の若い先生が往診に来て、朝の採血検査の結果、予想通り貧血が出てるので、鉄剤を使いますとの説明。フラフラは貧血のせいでした。点滴の途中から鉄剤を注入。血の濃いような色。これ以後、フラフラは改善されました。

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11:30 ごろに術後初のトイレに行ったのですが、そのあたりから、歩いたり食べたりする度に左の脇から胸にかけて激痛が走るようになりました。看護婦さんにいっても「筋肉痛じゃないでしょうか」といわれるばかりで納得できず。筋肉痛なら同じ姿勢をとったときにいつも同じように痛いと思うんだけど…。点滴剤が漏れたこととは関係がないか、と聞きましたが、それは関係ないでしょうとのこと。息が止まるくらいの痛さで、病院に駆け込む前のお腹の痛みと同じくらいなんですが、看護婦さんには取り合ってもらえず。この痛みは、この日の夕食の時まで断続的に続きました。

14:30 ごろには点滴が取れて、すべての拘留物から解放され、寝返りが大分打ちやすくなりました。食べると左胸が痛くなったりもしつつ、少しずつ元の状態に戻りつつあります。それにしても、ちょっと寝返りを打ったり、少し大きな声を出したり笑ったり、普段なんとも思わない場面で腹筋って使っているものだなあと思います。鼻をかむのも一苦労でした。しっかり歌えるようになるには何日か掛かるのか。つくづくライブが終わったタイミングで病気になって良かったと思いました。帰阪中にこうなったり、またはライブの直前になったりしたら、もうどうしようもなかったものなあ。

例の看護婦Sさんがやってきて、「明日は婦人科の病床がいっぱいになってしまうので、他の病棟に移って頂くことになっているんですが、先生から説明ありましたよね?」と。「いえ、まだ聞いてません」というと、「まったくしょうがないなあ」という表情になり、「すみませんね、うちはそういう病院なんです」と訳のわからない説明 (^_^; 「いえいえ、全くかまいませんよ」と言っているのに、最後まで「ちぇっ」という感じでした。ご機嫌取り、大変だなあ。

旦那はこの日も休暇を取っていたものの、夕方の5時頃いったん会社に出かけてミーティングに出席、夜8時頃またチラッと顔を見せてくれました。

昼間細切れに寝たせいもあったと思うのですが、夜は頭痛がして寝付けず、看護婦さんに相談して承諾をもらって、いつも持ち歩いているリーゼという安定剤を服用したら寝られました。術後の薬としてロキソニンを飲んでいるのに、どうして頭痛に効かないんだろう…(T_T)


■ 15日(土)3日目 ─────────────────────── ■

朝起きたとたんに頭痛。9時前にダンナ参上。11時頃来ると言っていたのでビックリ。昨日メールで頼んでおいたいろんなものを持ってきてくれました。今度は iPod、EeePC、ポケットティッシュ、スプーン、紅茶セット 等。おかげで、これまでメモ帳に書き留めていた出来事をパソコンで記録することができました。家に帰ってからやろうと思うと大変なので、入院中の暇なときにできるのはありがたいです。

この日から鉄剤の注射を開始。

このときも、錠剤を飲むか注射にするか選ぶ様に言われました。注射のほうが効き目が早く出るけど、痛いですと。静脈注射なので、採血の時と同じくらいの痛さだということで、迷わず注射を選びました。注射ってそんなに嫌かなぁ。私は全く何ともないんですが、ラッキーな体質なんだろうか。

午前中、手術してくださった先生の回診がありました。左脇の痛みのことを話したら、「もしかしたら放散痛かもしれない」と説明されて、筋肉痛よりも説得力があるなあ、と納得しました。まだ少しは痛いですが、もうほとんど問題ないくらいになりました。それにしても、術部に直接関連するものでなければ、大体の訴えは軽く流されるものなんだな、と思いました。

頭痛の件も「ひょっとしたら鼻の炎症から来てるのかもしれません」と申告したら、「じゃあ退院後に耳鼻科に行ってください」と言われました(笑)

手術後は動かなきゃと思ってその辺をウロウロしていたら、まだあんまり動くなと看護婦さんに怒られました(笑)。直後に血圧を測ったら 上が 140 の下が 80 と、人生最高記録をたたき出してしまった…。もうしばらくおとなしくしているように、とのこと。

午前10:30、婦人科の病床が満員になってしまったので、あいている内科・耳鼻科の病棟に引っ越し。ちょうど耳鼻科に移動でラッキー♪と思い、鼻の炎症を消毒してもらえないかとお願いしてみましたが、大病院ゆえ手続きが難しくて、本当は外の病院から紹介状を貰って外来扱いにしないといけないんだけど、婦人科の担当医に紹介状を書いて貰えないか聞いておきます、と対応してくださいました。私が入ってる病室の隣が耳鼻科の診療室なんですが、面倒くさいものですねー。

10:30 には耳鼻科の病室にまだ空きが出来ていなかったので、一旦予備部屋みたいな部屋に入りました。海が見える眺めの良い部屋で、ほかに誰もいないし、ずっとここでもいいけどなーと思いましたが、1時間もたたないうちに一般病室へ。

婦人科からの移動の途中、頭痛が治まらず痛そうにしていたら、看護師さんに「ロキソニンを早めに飲んでもかまわないと思いますよ」と言われたので、お部屋につくと早速お昼を待たずに、病院から出されているロキソニンの代わりにいつも持ち歩いているロキソニンとリーゼの混ざった薬を服用。効き目あらたか。以後これでいこうと思います。

看護婦さんに確認したら紅茶も飲んでOKとのことだったので、ダンナが持ってきてくれた紅茶セットと売店で購入した牛乳で早速ミルクティーを堪能。あーーなんか久しぶりに飲んだ気がするぅ〜。

お昼ご飯は初の完食! お粥の汁気がだんだん減って、このお昼から普通のご飯になりました。なかなか美味であった。ご飯のあと、旦那はゴルフのレッスンへ。私は久しぶりのシャワーを浴びて髪の毛も洗ってサッパリしました。体温は相変わらず 37.2℃あたりをウロチョロ。血圧はお昼には 上が 110、下が 60 あたりに落ち着いて一安心。

シャワーから帰ってくると、部屋では窓のブラインド交換の工事をしていました。す、スゴイ音… (@_@) 耳栓しても容赦なくガガガガガという音が突き抜けてきます。メニエールの症状で、こういう音が特に頭に響くのでカナリ苦痛でした。耳鼻科の病棟なのに、こんなおっきな音出されて困る人居ないのかなあ。耐えられないひとは避難して下さいってことかな。

最初に渡された計画表に依ると明日(日曜日)には退院できる予定とのことだったので、5時頃婦人科のナースステーションに行って、「明日は何時頃退院できますか?」と聞いたら、明日は主治医の先生に午前中手術の予定が入っていて、その後に説明と診察があり、OKがでたら退院ということになります、とのこと。日曜日退院ならダンナにお迎えに来てもらえるので楽ですが、月曜日となると一人で荷物を持って帰らないといけないので面倒です。願わくば日曜日に退院したい。

晩ご飯も完食しました。まだ食べて消化器官が活動すると傷のあたりが痛むので、ゆっくりゆっくり噛んで食べます。今回のご飯はいなり寿司と巻きずしでした。三分粥からだんだんと水分が少なくなってお昼に普通のご飯になったと思ったら、晩ご飯はさらに堅いのが出てきて笑いました。この分だと明日のご飯はおもちか煎餅なのでは??

お昼にロキソニンの粉薬を飲んでから頭痛はすっかり消えたので、結局鼻の消毒を入院中にやってもらうのはナシにしたんですが、リーゼとの混合薬を飲んだことを報告する必要もあり、移った先の耳鼻科の看護婦さんにこれまでの経緯を説明するのが面倒でした。リーゼやロキソニンを処方してもらっているのは内科の個人病院で、メニエールの薬は家の近所の耳鼻科、アクチオスはまた別の耳鼻科で処方なので、「どういうこと?」という感じになって最初から説明しました。メニエールと診断されるまでにアチコチの病院に行ったけど、取りあえずリーゼとロキソニンが効果があるので内科で処方してもらった、そのあと難聴と目眩が出てメニエールと診断された、メニエールの薬を飲んでもフワフワや耳鳴りが治らないのでヘルペスの薬を試している、云々…

新しい病室は夜いびきの嵐でした。耳栓持ってきて良かった! 寝る前にロキソニンとリーゼの混合薬も飲んだし、8時間連続爆睡しました。


■ 16日(日)4日目 ─────────────────────── ■

今回は来ないのかな、と思っていた生理が来ました。と同時にフラフラも戻って来ました (^_^; 術後のフラフラとはちょっと違う感じで、首の後ろが重い…これは何となくメニエールのフラフラっぽいです。

朝ご飯は完食。今回は食べてもお腹が痛くなりませんでした。ご飯は普通の白米で、おせんべいでもお餅でもありませんでした。(笑)

同じ病室にはおばあさんが3人と中年の女性が1人います。おばあさんのうち1人は恐らく認知症になっていて、何を言っているのかわかりません。もう一人は耳が遠くてコミュニケーションが取れません。残りの一人はちゃんと会話ができます。中年の女性は結婚したとたんにずーっと介護する生活が続いたそうで、とても明るい方で、認知症のおばあちゃんにも耳の遠いおばあちゃんにも上手に話しかけていて感心しました。残りのおばあちゃんとも楽しそうに会話していました。人間のできたかただなあ…将来私にちゃんとできるだろうか、介護。

この中年の女性に、「昨日はいびきで寝られなかったんじゃない?(←長崎弁で)」と聞かれたので、「いえ、耳栓をしていたので熟睡しました。耳栓いいですよ! 売店で売ってるかもしれませんよ!」とお勧めしておきました。きっと彼女はご家庭でいびきに晒されていないか(笑)或いはもしかすると介護のため、耳栓なんて考えられない状況なのかもしれません。我が家は普段別室で寝てるんですが、旅行の時は同じ部屋で寝るので耳栓は必需品です。それでなくても最近は音がアタマに響くので、耳栓は手放せません。

朝9時頃、手術をしてくださった先生の診察と説明があり、午後と聞いていたのであわててメモ帳とカメラを持って婦人科の病棟に向かいました。卵巣の中を覗く診察もありましたが、問題はなかったようです。手術中の様子の写真を、デジカメで撮影させて貰ったら、側にいた例の若いハンサムな方の先生に「さすが」と言って笑われました(笑)

病名は「卵巣出血」。CTで腫瘍かもしれないと思われたものは、血の固まりだったそうです。広範囲が痛かったのは、流出した血液で内臓が圧迫されたため。S状結腸との癒着があったので剥がした、とのこと。卵巣がパックリ割れていて、本当に血の海でした。スゲ〜〜。焼いてくっつけたそうです。さすがに写真はグロいので掲載しません。見たい?(笑) 子宮内膜症の小さいのも見つかったようですが、問題ない範囲なので放置してあるそうです。

今日退院できるかと思ってたんですが、残念ながら翌日退院とのこと。元気なのになあ。退院後は食事制限は特になし。入浴もOK。仕事のあるひとは1週間くらいは休んでくださいとのことでした。確定申告まだやってないんだけど、明日締め切りじゃん…これ、遅れたらどうなるんだろう? (^_^;

整体も鍼も問題ないとのことでした。アクチオス服用も問題ないとのことだったので、早速服用を開始しました。ついでに、「知人のメニエール患者さんで、女性ホルモンの注射でメニエールが改善したという話を聞いたんですが、お心当たりありますか?」と聞いてみたら、「聞いたことありませんねえ」と一蹴されました。ちゃんちゃん。

9:30 ごろダンナ登場。退院が月曜日ということになってしまったので、支払いを今日済まさせてもらって、朝8時頃に退院できないかと相談したところ、支払いは日曜日や朝9時前にはできないので、それでは確認書を書いてくださいと言われ、来週の再診時に支払うことを明記してサインしました。信用商売だわ〜。これで朝8時に退院できるので、出勤前ダンナに迎えにきてもらえます。家と病院と会社、すべてが近くにあるからこそできる芸当。都心に住んでいて良かった〜。

手術して以後、どうもお腹のまわりが膨らんでいるような感じがあります。廊下に体重計があったので計ってみましたら…なんと 1.5kg ちょい増えていました。40時間も絶食して、そのあとも病院食しか食べてないのに、なんで〜〜〜 (T_T) 点滴のせい? 帰ったらダイエット…していいのかなあ?

ダンナは途中お昼ご飯とゴルフレッスンで抜けましたが、この日も1日ついていてくれました。お昼は近くの新地の中華街で飲茶を食べたそうです。夜7時頃退散。もう立ったり歩いたりできるので、そんなにベッタリ付き添ってくれてなくても大丈夫なのに、4日間すっかりお世話になってしまいました。本人曰く「一人で家にいるとお菓子とか食べまくっちゃうんだも〜ん。どうせ家にいても本読んでるから、ここにいたほうがいい」そうです (笑)。ホントにずっと本読んでました。

この週末、ダンナには2つ気の進まない予定が入っていたそうで、私の入院のお陰でどっちも断れたと喜んでました (笑)。1つは土曜日の早朝から雲仙でゴルフ、もう1つは日曜日にハウステンボス方面でテニスのダブルス試合出場。2つ目のほうはいつも行っているテニスクラブのお仲間に誘われたそうなので、断ったからにはテニスクラブにも行くわけにいかず、他にすることが何もなかったみたいです。

この日は夜中の2時まで眠れず、リーゼを服用。2時半頃には寝たと思います。


■ 17日(月)5日目 ─────────────────────── ■

退院! 朝6時起床。ちょっと頭が痛い。昨日の夜熱が 37.3℃ あったので少し心配したけど、起き抜けに計ったら 36.5℃ でした。一安心。

昨日は私が寝た後に交通事故の患者さんが入室してきたみたいで、付き添いのお母さん(多分)や看護婦さんに文句ばっかり言ってました。介護大変そうだ…。同じ病室のひとも、文句ばっかり聞いているのイヤだろうな。このタイミングで退院できて良かった〜〜。

8時前にダンナが来て、耳鼻科と婦人科のナースステーションに挨拶をして、無事退院しました。入院のときはいつも家に居るときに着ているスウェットをそのまま着てきて、手術前後は病院の寝間着を借りて着ていましたが、返却してからは着てきたスウェットをまた着ていました。退院のときもどうせダンナが車で来てくれるから、ということで特に着替えもせずそのままの格好で出ました (笑)。あ、下着とTシャツはちゃんと替えてますよ。

くの字になって入ってきたけど、直立して出られて清々しい気分。マンションの部屋までダンナが荷物を持って一緒に上がってくれて、そのあとすぐに出社していきました。私は前夜あまり寝られなかったので、そのまま昼過ぎまで爆睡。

ところがですよ。この日は確定申告の締め切り日ではないですか。先週末やろうと思ってたところに入院しちゃったので、まだ出来てません。昼過ぎから起き出して片づけました。昨年度は赤字ですので納付も還付も無いんですが、赤字は次年度に繰り越せるらしいので、やっとかなきゃと思って。

でも終わったら夕方の6時でした。中央郵便局まで行けばまだ開いてますが、そこまでの元気はないので、うちの向かいにある郵便局のポストに出しに行きました。最後の収集が 19:00 なので、ひょっとしたら当日の消印が付くかと思いまして。一応中に「先週から緊急入院して今日退院してきたので消印が間に合っていないかもしれませんが、よろしくお取計らい下さい」みたいな手紙をつけておきました。慌ててやったから、何か手落ちがあるかもしれないなあ。

------------------


そんなワケで短い入院生活でしたが、ダンナにも助けられ、みなさんからもたくさん応援コメント頂いて、あ〜幸せだなーと改めて思いました。まだ頭痛とフラフラがあるのでゆっくりペースになると思いますが、そんなお気楽な生活が許される環境に感謝しつつ、もともとの不調とも気長にうまく付き合っていこうと思ってます。

長文に付き合ってくださってお疲れ様でした (^o^)
category:不定愁訴関連  コメントを読む・書く (2)

Comments

最近更新少ないなー、と思っていたのですが、
た、たいへんなことになっていたのですね!
まずはご無事で何よりでした〜
2008/04/02 21:01【 か〜の 】
≡★ か〜のさん ★≡


年があけてからの日記は、ずっと mixi のほうに書いていたんです。
年末年始の日記をこちらのブログにアップし終わったら
mixi に書いた日記をこちらに転載していこうと思っていて
3ヶ月も経ってしまったのでした (^_^;

これからは mixi 日記からあまり間をあけずにこちらも
更新していけると思います (^o^)

手術のほうは、着実に治っていく喜びが味わえて
却って嬉しく思いました。治るって本当に嬉しい! ♪d(⌒o⌒)b♪
2008/04/03 01:28【 こんきち

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