「自己愛」への軽い憧れ
2006/12/06 (水)
大分前になるが、糸井重里が「ほぼ日刊イトイ新聞」で<ほめるとなぜ伸びるのか?>という文章を書いていた。大約すれば、叱るというのは、正解以外に無数にある間違ったやりかたを逐一「それは正解ではない」と教える方法であり、褒めるとはドンピシャずばり正解を教えることであるから、褒める方が正解に辿り着きやすい、というようなコトだ。
なるほどナーと納得したのだが、でもそれだけでも無いという気がする。私の場合は人間が甘いので、何かを教えられるときダメなところばっかり言われ続けると、もともと「自分が好き」というタイプでない所へますます自分が嫌になってきて、投げやりな気持ちになってしまう。
「自分が好き」って公然と言える人って、羨ましいなあと日頃思っている。人前で歌ったりする人間は、本当はそうじゃないといけないんじゃないか? なんて考えることもあったり。当人が好きじゃないと思っている自分の有り様を、人前に曝したりしてもいいもんだろうか。
器用貧乏の典型っぽい私だけど、もしも私が自分を悲観的・批判的に見るタイプでなくて、「自分が好き」というタイプだったら、もっといろんなものになろうとしていたかもしれないし、ひょっとしたらいろんな部分で今以上の力が出せたのかもしれないなー、なんて人生を振り返ってもみたり。いや違うかな、ただ怠け者なだけなのかもしれない。
えーとつまり、褒めるというのは自分自身を好きにさせて、或いは自身を持たせて より効率よく能力を発揮させる効果もあるのではないかと。
関西に歌いに帰ると、至福の時間を味わえると共に、ダメ出しが沢山来て自分ではいいと思っているところへの評価は無くて、帰るたびに 自分自身に対する落胆と諦観を覚えることが多いのも事実。いや私自身も周りにダメ出しはしますけどね。でも逆に感動も存分に伝えているつもり。
勿論アドバイスはしてもわらないと自分では気づけないことも多いし、して欲しいとも思っているし、ダメ出しして貰えるのは、もっとよくなるはずだと期待してくれているからこそだろうとは思っている(思おうとしている)が、「凹むもんか!」と構えていてもドっとやるせない思いが溢れてくる。信頼と愛情が前向きに感じ取れなくなっているのかなあ。それ自体無くなっちゃっているのでなければいいけど (^_^; この感じ、東京時代を思い出すなあ。
そもそも必要として欲しい、好きであって欲しい、と思うのが傲慢なのであって、幸せを感じられる場を与えて貰っていることに感謝すべきなのだろう。
歌に関してはこれまでアカペラが好きで一筋でやってきたけれど、歌い手としての自分を嫌いになりかけているこの状態から抜け出すために、なにかアカペラ以外の場でも歌を歌ってみたりしたほうがいいのではないかな、と思い始めている。私の歌や声を本質的に好きだと思ってくれる人、しかも出来れば褒めながらアドバイスをくれる信頼できるひとと、バンドかなにか出来るといいのだけど…そんなワガママな環境、見つけるのほぼ不可能かしら (^_^;
40代に入ってからの方が、いろいろ迷ってるような気がする。これのどこが不惑なんだろうか。引っ越して以来出勤も歌う機会もめっきり減って外界との繋がりが希薄になって、おまけにこれまで取り柄とも言えた「有り余る体力」まで雲行きが怪しくなって、余計なことを色々考えてしまうせいなのかなあ。自分のことが好きになりたい今日この頃。
なるほどナーと納得したのだが、でもそれだけでも無いという気がする。私の場合は人間が甘いので、何かを教えられるときダメなところばっかり言われ続けると、もともと「自分が好き」というタイプでない所へますます自分が嫌になってきて、投げやりな気持ちになってしまう。
「自分が好き」って公然と言える人って、羨ましいなあと日頃思っている。人前で歌ったりする人間は、本当はそうじゃないといけないんじゃないか? なんて考えることもあったり。当人が好きじゃないと思っている自分の有り様を、人前に曝したりしてもいいもんだろうか。
器用貧乏の典型っぽい私だけど、もしも私が自分を悲観的・批判的に見るタイプでなくて、「自分が好き」というタイプだったら、もっといろんなものになろうとしていたかもしれないし、ひょっとしたらいろんな部分で今以上の力が出せたのかもしれないなー、なんて人生を振り返ってもみたり。いや違うかな、ただ怠け者なだけなのかもしれない。
えーとつまり、褒めるというのは自分自身を好きにさせて、或いは自身を持たせて より効率よく能力を発揮させる効果もあるのではないかと。
関西に歌いに帰ると、至福の時間を味わえると共に、ダメ出しが沢山来て自分ではいいと思っているところへの評価は無くて、帰るたびに 自分自身に対する落胆と諦観を覚えることが多いのも事実。いや私自身も周りにダメ出しはしますけどね。でも逆に感動も存分に伝えているつもり。
勿論アドバイスはしてもわらないと自分では気づけないことも多いし、して欲しいとも思っているし、ダメ出しして貰えるのは、もっとよくなるはずだと期待してくれているからこそだろうとは思っている(思おうとしている)が、「凹むもんか!」と構えていてもドっとやるせない思いが溢れてくる。信頼と愛情が前向きに感じ取れなくなっているのかなあ。それ自体無くなっちゃっているのでなければいいけど (^_^; この感じ、東京時代を思い出すなあ。
そもそも必要として欲しい、好きであって欲しい、と思うのが傲慢なのであって、幸せを感じられる場を与えて貰っていることに感謝すべきなのだろう。
歌に関してはこれまでアカペラが好きで一筋でやってきたけれど、歌い手としての自分を嫌いになりかけているこの状態から抜け出すために、なにかアカペラ以外の場でも歌を歌ってみたりしたほうがいいのではないかな、と思い始めている。私の歌や声を本質的に好きだと思ってくれる人、しかも出来れば褒めながらアドバイスをくれる信頼できるひとと、バンドかなにか出来るといいのだけど…そんなワガママな環境、見つけるのほぼ不可能かしら (^_^;
40代に入ってからの方が、いろいろ迷ってるような気がする。これのどこが不惑なんだろうか。引っ越して以来出勤も歌う機会もめっきり減って外界との繋がりが希薄になって、おまけにこれまで取り柄とも言えた「有り余る体力」まで雲行きが怪しくなって、余計なことを色々考えてしまうせいなのかなあ。自分のことが好きになりたい今日この頃。
近くに住んでれば、ぜひバンドで歌ってもらいますのに・・
つ〜か、嗜好に合わせてひとつバンド作らせていただきますが。
私も、自分が嫌いですね。 特に自分の歌声は大嫌い。
だからこそ続くのかなぁ、と思ったりもしますが。
不惑ってのは、人生とか生計とか、そういう根幹について
悩まなくなることだと、勝手に思ってます。
だから、迷ってたらそれどころじゃないような些末な部分で
いろいろと考えてしまうんじゃないかなぁ、と・・
だから「自分が好き」にしろ「嫌い」にしろ物凄く大雑把な言い方にすぎないわけで、内実はまた話は別、となるんじゃないでしょうか。照れずに「好き」と言い切りたい人は言い切るんだろうし、それを美しくないと思ったり、言い切ってしまうのは躊躇ってしまうといったような人は「嫌い」となるんでしょうし。好きか嫌いかじゃなくて、実のところは当人の軸足の置き方の問題なんじゃないか、と。
結局だから、自分を肯定するにしろ否定するにしろ、どっちであろうが、肯定すべき部分は肯定して、否定すべき部分は否定する、客観性と言うのか何かそういったもんこそが重要で、「好き」と「嫌い」のどっちを表に出すか、はどっちでもいいと言えばどっちでもいいんじゃないでしょうか。
す、すごい厚遇オファー。ありがとうございます〜。(T▽T)
楽器バンドやってみると、アカペラよりはいろんなことから
自由になって歌えるような気がするんですよね。試してみたい…
自分が嫌いだからこそ続くって、あるんですかねえ?
向上心の源にはなっていそうだけど、
でも好きだったらもっと楽しいだろうになあとも思うし。
私は30代の最後で長崎に引っ越して、定期的な仕事も無くなって、
人生の根幹部分についても「こんなんでいいのかなあ」と思うことが
増えたような気がします。
でもどこかで環境のせいにしているような所もあると思うので
ずるいというか、やっぱり怠け者なんだろうなあ。
ダンナにも甘やかされ過ぎかも (^_^;
≡★ 池本さん ★≡
さすがスルドイですね。
そうですねー、確かに「自分が好き」と表向きに表現するかどうか、
という部分も大きいんだろうと思います。
それが許されるキャラかどうか、とか。「キャラ」ってのも曖昧ですけど。
私の場合は、仮にある瞬間「こんな自分が好き」と思ったとしても
そう表現する自分が自分でも許容できないし
周りにもきっと許容されないだろうと感じてるんでしょうね。
でも私はやっぱり総じて自分のことが嫌いなんだと思います。
「嫌い」というのはちょっと違うのかなあ…「これでいいと思えない」って感じかなあ。
総体として、人間としての自分に自信がないってコトでしょうか。
部分的に「この能力には自信がある」ということとは別に。
例えば私が子供の相手が苦手だったり、年下の友人に年上らしい態度が取れなかったりするのって
自信がないということに関係してるように思うんですよね。
あるいは基本的に「人にあまり好かれないタチだ」という思いがあるのかも。
それとは別に、人生あまりに順調に来すぎて殆ど苦労というものをしてなくて
歳だけ食って薄っぺらな人間になってるんだろうな、という思いが強いです。
裏付けがないというのか。子供も居ないし、生活の心配もないし。
これから「親の介護」という苦労が待ってるのかもしれませんが…(^_^;
かといって凄く厭世的になってるかというと全然そんなことはなくて、
「これでいいとは思えないけど諦観しちゃってる」って感じなのかな。ダメなヤツ。
なので、「自分が好き」と「言える」かどうかはまた別として、
そう思えるようになるには、苦労を乗り越えた実績みたいなものが必要なのかも?
歌い手としての「自分が好き」というのはまたちょっと話が別ですね。
ある特定の能力に関しての自信、というようなことですものね。
これはもう、練習して上手くなって、自分で納得できるようになるしか無いですかね。
メンタリティ的に、もうすこし「好き」のハードルが低くなればいいんですが。
少なくとも人前で歌うときには、そのハードルを下げるべきだという気がしてますが
なかなかそういう訳にもいかず、冷めた目で自分を見てしまいます。
うーん、なんだか上手くまとまって無い気もします…すんません。
こんきちも好きだ。
こっちに来たら一緒に歌っておくれ。
わしゃギター伴奏ね。
ありがとうーーーーー! (T0T)
ぎださんのギターで歌ってみたい♪
あ、ぎださん弾き語りでハモってください。
今回の帰省では嬉しいことが沢山ありました。
ヘコんでいた気持ちがすごーく救われました♪
すっかり関西が故郷だと思ってる (^_^;
こんきちさんが、そこまでいろんな事を考えていたなんて
気づきませんでした。配慮が足りませんでしたね。。。反省。。
こんきちさんには、絶大な信頼を置いています。あまとらにとって、なくてはならない人ですので、今後ともよろしくお願いします♪(^^)
>アカペラ以外の場でも歌を歌ってみたりしたほうがいい
これ賛成です。ホントにアカペラ一筋のこんきちさんがこんなこと
言ってるって、だいぶ驚きでしたが、いいと思います。
なんか年下の私がこんなこと言うのもおかしいのですが、
今、やっぱり転機なんじゃないでしょうか?
落ちる時には落ちて、また上ってくると、以前より自分を
好きになっていると思います。なんてえらそうに言ってますね。
すみません。
いやいや、配慮してムリヤリ褒めて貰っても困りますものー。
どうぞ今まで通りで居て下さい。m(__)m
思ったことは言ってくれたら嬉しいけど(勿論ダメ出しも)、
思っていないことは言わないでね! …って言わないか (笑)
信頼している、と言ってくれてアリガトウ。
雑務やアレンジ以外でも「無くてはならない」存在だと
思って貰える(と自分が感じられる)よう、がんばりま〜す。
要はきっと自分の問題なんだよね、周りの態度ではなく。
>アカペラ以外の場でも歌を歌ってみたりしたほうがいい
これはねー、この間さわいさんとカラオケに行ったときにも
ちょっと思ったんだよねー。
音程に対する不安が無いと、表現のほうに力が注げるな、って。
でもカラオケっていうのは味気なさ過ぎるので
やっぱり同時進行で一緒に音を作ってる感覚がないと…
なので楽器バンドがいいかなーって。
ガンガン音が鳴るのは苦手なので、ギターの伴奏とかいいかも。
こないだ真由子さんが長崎でされたバンドの編成は楽しそうでした。
(ギター・バイオリン・パーカス)あんなのがいいな。ピアノもいいけどねー。
またボーカル教室に行って、メンバー探してみようかな (^_^;
先生がギターで伴奏してくれる教室、とかあればいいのにな。
あ〜ボーカルレッスンにもまた行きたいんだけど、
あのレッスンかなり体力的にキツイので、今行くのが怖い〜。
今転機なのかなあ。カラダのほうもちょっと変調してるしね…
完全に中年になりきってしまえば、変わってくるのかしら。
でもあまりに図々しい「自分好き」にはならないようにしなきゃ。
そこらへんのバランス、難しいですね (笑)
聞きに行きたい♪(^0^)
私は性格上、思ってないことは言えない人ですので
信じてくださいね(^-^)
逆に言うと、思ってることしか言わないので、
きついところもあるのか・・
図々しい自分好き=ナルシスト?
私のダメなタイプですね(^^;
その愛のお陰でけっこうへこむことなくこれまでの人生を送ってきており、こんきちさんとは違った意味で「私って薄っぺらい」と思ってるのも確かです。
きっとこんきちさんは「いやだなぁ→こうしよう」というベクトルが自分の中にありそうだから、きっと満足はしてなくても向上なさってると思うんですが。だとしたら、昨日より厚みのあるこんきちさんが毎日出来上がってるはずだと思うのです。
とすると、きっと昨日の好き度より今日の好き度の方が上がってるんでは。
自分を愛する度合いが高まったことを確認する、へんてこな方程式を立ててみました。
自分愛の強い私から、こんきち様へ。
アカペラーな私を知ってる人の前で歌うのはちょっと恥ずかしいなあ (笑)
それに関西でバンドって…いつ練習するんでしょう (^^;)
てんこちゃんが、思ってないことは言わないだろう、というのは了解してます!
でも、思ってても言わないことはきっとあるよね。
ときどき練習のときに発する他バンド演奏に対する正直な感想 (笑) も
敢えて本人には言ってないでしょうしね〜。
てんこちゃんに嫌われるナルシストにはならないようにしよう。
ならないような気がするけど。
≡★ よしみさん ★≡
よしみさんは私から見て、「自分が好き」なのが許容されるキャラなのです。
好きだからといって向上心がないという方向では無いとお見受けしますし。
私も割と凹まない方だとは思うんですが、「私が好き☆」という境地には
なかなか至らないんですよねえ〜。
「いやだなぁ→こうしよう」というベクトルは、モノによってはありますが
簡単に諦めてしまったことも多いような気もします。
全部諦めずにやってたらシンドイさぞシンドイ人生だろうと思いますが
諦めが過度になってしまうと、年を食うに連れて薄っぺらい私が出来てしまうのですよね。
重要なポイントで諦めずに向上していければ、そのうち「私が好き☆」なんて風に
思えるようになるのかもしれないですね。
励まし感謝です! (*^3^)/〜☆