こんきちの雑記帳

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ZARD / 松岡大臣 / 視覚障害

ここのところ書きたいことが溜まっていたので、一気にはき出しちゃおう。今回どれもちょっと反感買いやすい内容かなあ…


ZARD のこと

月曜日、ZARD の坂井泉水さんが亡くなり、あちこちで「好きだったのに…」という書き込みを読んで、ファンが多かったんだな〜と知りました。(訃報に接してわざわざ「別に好きじゃなかった」と書く人も少ないと思いますが…といいつつ→)私はあまり好きな歌い手さんではなかったんですが、「好きだった」と書き込んでいる人たちの多くは「歌に勇気づけられた」「励まされた」と言っていて、詞の内容を評価している人が多いのかな、と思いました。

私自身は歌を聴くときに歌詞の内容をあんまり聞かない人種なので (^_^; ZARD はどうも声の出し方や、歌詞を旋律にムリヤリねじ込む感じが好きになれませんでした。…なんてネガティブなこと、別に人前で発表しなくてもいいかもしれないけど。改めて自分の歌の聴き方を認識したので、書いておこうかなと。

なんにしても、自分の作ったものや表現で誰かを励ましたり喜ばしたりできる力は素晴らしいと思います。そして、心よりご冥福をお祈りします。


松岡大臣のこと

坂井泉水さんと同じ日に亡くなった松岡農林水産大臣ですが…日本の政界ってそんなに不自由なのかなあ、仮に総理や政府から「喋るな」というお達しがあったとしても、死ぬくらいだったらそんなの無視して喋っちゃえばいいのに、なんて単純に思いました。勿論どんな理由・気持ちで亡くなったかなんて、赤の他人に判りはしないんですが。

経費の名目をごまかして申請以外の用途に使ってる、なんてことはきっと政治の世界ではザラなんでしょうけど、「政治にはお金がかかるのが当たり前でしょうがない」という政治家の価値観は変わらんものか、と思います。地元での結婚式とか人付き合いとかにお金使わなくてもいいようにすればいいじゃん。

現時点で自民党に反対したければ民主党に投票するしかないのかな…と思うんですが、民主党を支持できるわけでもなく、悩むところです。


DUOMO 感想

先日放送された九州ローカルの番組「DUOMO」で、視覚障害者の女の子が通勤の様子を取材されてました。凄く明るくて前向きで可愛い子で感動したんですが、気になることがありました。

その子はシッカリ働いていて、職場までかなり長い道のりを、しかも車も歩行者も通行量が多い道を歩くんですが、片手でコロコロキャスターバッグをひっぱって、片手で日傘を持って歩くので、手が空かないという理由で白い杖を持っていません。

それでも点字ブロックを足で感じ取ってシャキシャキ歩くので、周りのひとには彼女が視覚障害者だということが全く判らないんです。

これでは彼女にとっても危険であると同時に、周りの人間にも害が及ぶと思いました。視覚障害者が居ると判れば周りも気をつけたりよけてたりしてあげられますが、歩道を対向して歩いてくる人が彼女をみて、まさかまっすぐ突っ込んでくるとは予想しないので、日傘や荷物、場合によっては体がぶつかったりしてしまいます。

横断歩道を渡るときだって、白い杖を見れば車の運転者が気をつけることができますけど、健常者だと思っていればまさか突っ込んでくるとは思わずにはねてしまうかもしれません。それは彼女にとっては勿論、運転者にとっても不幸なことです。

日傘を帽子にかえるなり、荷物をリュックで背負うなりして、杖は是非持って欲しいものだと思いました。

と同時に、点字ブロックはそこの上だけあけとけばいいもんじゃない、ということも判りました。点字ブロックはかろうじてあけてあってもすぐ近くにパイロンやら自転車やらが置いてあると実に危ないです。私も無神経なことをしないように気をつけねば。

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関係ないですが、今日の Duomo で、今流行の「どんだけぇ〜」を熊本のコたちは「どぎゃしこ〜」と言っていました。かなりイイ!
category:  コメントを読む・書く (4)

Comments

どぎゃしこ!?
面白いですねぇ。
どぎゃしこ〜
どぎゃしこ〜
あー、肝心なときには忘れてそうです…

ざーどさんは、私もこんきちさんと同じ感じです^^;
私も音楽聴くときって歌詞より音楽が耳(頭?)にはいってくることのほうが多いです。
語り口調の曲以外は、なのかもしれませんが。

しかし仕事の作業上、メロディより先に歌詞テキストをチェックするので、最近の最新曲は詩を先に目にすることが多くなりました。すると、詩がめちゃくちゃで見るのもウンザリと思う作品が、音源を聴くとなかなか聴けたり、さっきまで最悪と思っていた臭いセリフが、ふ〜ん、いいかも、と思えることがあって、ちょっと「やられた」気分で素直に喜べなかったりも(笑)

その逆も結構合って、詩にぐっと来て、音楽をかけたら、せっかく感動した単語の数々がたったかたったか軽軽しく飛び去っていてガッカリするんですよね。メロディもいまいちで。それが、作詞者と作曲者と歌い手が別々の曲なら、まぁね、とか思うんですが、おんなじだったりするとかなりビックリします。
でもそんなことあれやこれやひっくるめて、作品と出会うのは結構面白い。自分の感覚との出会いといのかもしれませんね。

視覚障害のかたのおはなし、たしかに。何事も起きないといいですが…

いつもご一緒しているWSにいるかたも、そういえばリュックを背負っていらっしゃるのはそういうことなのか、と今気付きました。
彼女もめちゃくちゃ明るくて前向きで、全然遠慮しないで発言するしすごく素敵なのですが、私も、あるいは他の人も、気付かないところで何かしでかしてるんじゃないか、というのはいつも思っています。
見えないという感覚をちゃんと理解していないので、そんな状態でお付き合いしているのは、やはりもうちょっと勉強が必要なのでは、とか。

メールが音声で聴けるのでMLでやりとりするわけですが、「今度見てください」みたいなこと、本とか、映画とか、そういうの、どうやって共感したらいいだろう、とか、あまり考えないで発言してるかも。
もちろん他の方々全体に対しての発言なのですが。でもその時彼女はどう感じてるのかな…でもそんなこと、もう慣れてしまっているんだろうか…
でも音楽をまさに一緒にしているときは何も壁がないんですよ。それが救いです。

それから、私が今朝から頭にずっとあったこと、、、
顔色をうかがう、っていうこと、大いにあってコミュニケーションするじゃないですが。私なんて特に小さい頃からそんなで。妹ってそういう習性あるかも?^^;でも目が見えなかったら、どんなタイミングで、誰に、何を発言するか、、あ、集団の中でですよ、そういうの、難しくないかなぁ、私だったらスゴクだまってしまうかも、いろんな言葉を飲み込んでしまうかも、こわくて。でも彼女はどんどん発言してくれる。そんな彼女に、顔を向けて聴いていると知らせようとしてもダメで、ほんとは声で「はい」とか何か、注目しています、という声をあげるべきかもしれない、とか、そんなことをあれこれ思いました。
きっと、思い切って声を出したに違いないんですものね。その行動に対して、どうやって誠意を示すか、もっとちゃんと考えなくては、とか、朝からぼんやり思っていたのです。丁度昨日練習があったので。

長くてすみません^^;
2007/06/01 09:17【 ともべ 】
≡★ ともべさん ★≡

 「どぎゃしこ」いい響きですよねえ。流行らないかな (笑)

 なーるほどー。歌詞を先に読むと、曲に乗せて聞いたときに印象が変わって面白いでしょうね。
 私は多分、詩だけで(or 歌詞先行で)好きになった曲って皆無だと思います。
 曲と結びついたときの響きとか、そういうことしか気にしてないんだろうなー。
 ZARD の歌詞も、歌詞だけ読んだら結構グッと来たのかもしれないです。

 作品についてどう思うかを考えるのは、自分の感覚を知ることにもなって面白いですね。

 私は実際に視覚障害者のかたと接したことはないんですが、どこをどう気遣って良いのか
 実際の場になったらやっぱり迷うだろうなーと思います。
 相手が障害者でなくても、普段から気遣いがヘタクソな自分なので…(^_^;
 でももし自分が障害者だったとしたら、あまりに気を遣われるのもツライかな、
 という気もするし(いや、なってみないと判らないんですが)難しいですね。
 相手を心苦しくさせない気の使い方ができるようなひとに憧れます。

 確かに、一緒に音を作っているときはそんな壁はなくなるでしょうね。(^o^)
 指揮者が居る様なコーラスなんかだと困る場面もありそうですが…

 「注目していますよ」の示し方で迷う、というのは正に実体験から出る迷いですね。
 たしかに、人とのコミュニケーションのなかで、目から入ってくる情報が果たす役割は
 とても大きいと思うので、どうすべきなのか難しいですね。
 例えば視覚障害者のかた同士がお話するときなんかはどうしてるんでしょうね?
 ぶっちゃけご本人とそんな話をしてみるのもいいかも、なんて思ったりします。
2007/06/02 05:21【 こんきち
うんうん!
そうですね^^
こんどぶっちゃけ話してみます。
彼女の場合、大学生までは見えていて、その後全盲になり学校を辞めざるを得なくなったそうです。でも小さいころから目の病で、片方わるくされていて、いずれ両方見えなくなるといわれていたとか。
だから昔の漫画のはなしとかめちゃくちゃついてくるんですよ(笑)そうそう、今「地球へ…」のアニメ放送してる、っていう話をしたときに、竹宮さんの絵がどうのこうの、とかの。えぇと、私の一回り上だから、S36年生まれのかたかな…。いろいろ知識豊富で、はなしていてつい目が見えないということを忘れてしまうから、それで、ふとわれにかえって「あれ?私なんかしでかしてないだろうか・・」と思わせられる。ばんばん自分を出してくれるので、ほんとうに普通に「知り合っている」ということを感じる。私だったらもっと屈折してしまうのではないだろうか…。
ステキな人に出会うって豊かになって嬉しいことですねぇ^^
2007/06/02 11:49【 ともべ 】
≡★ ともべさん ★≡

 そのかたは途中から見えなくなったんですね。DUOMO の彼女もそうでした。
 長じてから点字を指で感じ取れる様に訓練するの、大変だったでしょうね。
 将来に備えて、小さい頃から訓練されていたのかな…
 点字って、今自分で触ってみてもどういう形なのかまったく感じ取れません。

 以前は見えていたのが見えなくなった場合、過去の映像の記憶もあって
 そこからいろいろ想像も出来るし、健常者との壁は低くなるかもしれないけれど、
 見えていたものが見えなくなるのは、もともと見えないのとはまた
 違う辛さがあるだろうなあ…しかもこれから見えなくなる、と宣告されるなんて
 どんなにせつないでしょうね。

 Duomo で彼女に取材をしていたひとが、自分で目隠しをして白い杖を持って
 点字ブロックの上を歩いてみてたんですが、怖くてへっぴり腰になって
 「僕がこんなんやったら、家に籠もってしまうと思うわー」と言っていて、
 それに対して彼女が明るく「そこから這い上がるんですよ!」と言ったのが
 凄く印象的でグッと来ました。私だったらこんな風に明るく居られるだろうかと、
 やっぱり思っちゃいましたねー。

 相手が見えてないんだ、ということを忘れて一緒に楽しめるのは嬉しいけれど
 ホントうっかりしちゃいそうですね。DUOMO でもそんなシーンがありました。
 でも案外相手も、そのほうが嬉しかったりすることもあるかも…?!
2007/06/03 01:03【 こんきち

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